スター音楽学院ー歌のwebマガジンー

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待望の日本人横綱・稀勢の里が誕生し、若貴フィーバー以来の人気が復活して相撲界は盛り上がっています。そんな折、筆者が勤めている会社が大相撲の地方巡業を主催する機会に恵まれ、全社員が一丸となって準備に取り組みました。初めての事ばかりで、しかも通常の業務をしながらの初の一大イベント開催なので右往左往しながらでしたが、巡業担当の親方の丁寧な指示と対応の下、それまで相撲に興味・関心の薄かった若手社員も伝統文化に触れながら大きな目的に向かって汗を流しました。市の体育館を使うため前日は遅くまで土俵作り、会場設営をして当日を迎えました。開場を待ちかねて午前7時過ぎからチケットを握りしめた家族連れが集まり始め、秋風にはためく幟(のぼり)の前で記念撮影する姿が見られました。寄せ太鼓で開場、お目当ての力士との握手会、写真撮影、人気力士の取り組み等で大いに盛り上がりました。距離が近くてアットホームな巡業に、訪れた三千人の老若男女の皆さんは満面の笑顔でした。観客を魅了するエンターテイメントの力を実感しました心が伝わると人は幸せになれます。私たちも幸せになれる歌をこれからも歌っていきたいですね♪


人生の達人   永六輔さん世界

 昨年77日に83歳で亡くなった永六輔さんは浅草のお寺の二男として生まれ、中学生の時NHKのラジオ番組に投稿したのをきっかけにコントの台本を書くようになり、早稲田大学に入ってからは放送作家としても活躍、昭和34年には作曲中村八大、作詞永六輔の『黒い花びら』で第1回レコード大賞を受賞しました。その後NHK“夢で逢いましょう”に構成作家として携わり、『上を向いて歩こう』『こんにちは赤ちゃん』『遠くへ行きたい』など誰もが一度は口ずさんだ名曲を作詞、次々とヒットをとばし作詞家として不動の地位を確立します。作曲家いずみたくとのコンビでは、“日本の歌シリーズ”として全都道府県のご当地ソングを作りました。『いい湯だな』『筑波山麓合唱団』『女ひとり』など、いまだに歌い継がれている歌ばかりです。数々の名曲を生み出した永さんですが、昭和42年からは原点であるラジオに戻り、TBS“誰かとどこかで”を始めます。日常の風景描写、人との出逢い、おかしいと思った事の追求、日本の伝統文化を守る職人さんや芸人さんなどへの温かいまなざし、尺貫法へのこだわりなどラジオを通して語りかけて49年、抜群の記憶力と博識で好奇心が強く、行動力がありました。15年前、筆者が法事等でお世話になっている千葉のお寺で、住職と永さんが懇意にしていらした関係で講演会の際にお会いしましたが、ラジオの印象そのままの庶民の味方、落語のような語り口で2時間近い講演を立ったままで、最後まで観客を爆笑の渦に巻き込んでいた姿を懐かしく思い出します。また永さんの筆まめは有名ですが、20年前に“誰かとどこかで”の番組宛てにハガキを出したら、3日後に達筆のお礼状が届いたのには驚きました。亡くなった奥様宛てに、毎日ハガキを出し続けたというエピソードからも人間性がしのばれます。放送作家・作詞家・ラジオパーソナリティ・タレント・作家…人としてはかり知れないスケールの大きな永さんと同時代を生きられた事に感謝して、詞をかみしめながら大好きな『黄昏のビギン』を歌い継いでいこうと思っています。 (編集長)

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